年月日 |
代表者 |
出来事 |
寛永9年(1632) | 初代: 源兵衛 |
細川家御用染物師として細川家の転封と共に小倉へ移住。寛永9年、細川忠利公の熊本転封と共に来住。出自は丹後国田辺(現京都府舞鶴市) |
明治10年(1877) | 八代: 總次郎 |
西南戦争熊本城戦により家屋焼失。染物業を弟に譲り、一時旅館業を営む。 |
明治10年(1877) | 初代: (第八代) 總次郎 |
11月3日「文林堂」創業(初代:丹邉總次郎 第一回熊本市議会議員、熊本商法会議所議員) |
明治40年(1907) | 欧米より文具直輸入。 | |
大正10年(1921) | 米国ウォーターマン万年筆代理店 | |
英国ペリーペン会社日本代理店 | ||
徳富蘆花の小説「富士」に登場 | ||
昭和3年(1928) | 二代: 丹邉總次郎(禎吉) |
「合名会社文林堂」設立(代表社員 二代目丹邉總次郎 熊本中学卒 初代肥後考古学会会長 論文:豊野町 浄水寺碑の研究) |
昭和34年(1959) | 3月 二代目丹邉總次郎死去 | |
昭和34年(1959) | 三代: 丹邉恭平 |
4月2日「有限会社文林堂本店」設立(代表取締役 丹邉恭平 横浜高商卒) |
昭和48年(1973) | 10月 岩田屋伊勢丹デパート開店により支店を出店 | |
文林堂美術研究所設立(平林武良、乙葉統、他) | ||
海老原喜之助画伯の呼びかけによりアマチュア絵画連盟設立 | ||
アマチュア絵画連盟会長に就任 | ||
臨川会(水墨画研究会)主宰 | ||
昭和52年(1977) | 11月3日 「文林堂」創業100周年 | |
昭和59年(1984) | 11月 新館工事落成 | |
第二回 国民文化祭事務局長に就任 | ||
平成10年(1998) | 1月 代表取締役 丹邉恭平 死去 | |
〃 | 四代: 丹邉孝子 |
丹邉孝子(草月流熊本支部前役員)代表取締役に就任 |
〃 | 9月 本館老朽化による改築工事落成 | |
平成13年(2001) | 8月 熊本岩田屋撤退のため、岩田屋の文林堂支店閉店 | |
平成19年(2007) | 11月3日 「文林堂」創業130周年 | |
平成21年(2009) | 4月2日 「有限会社文林堂本店」創立50周年 | |
平成29年(2017) | 11月3日「文林堂」創業140周年 | |
令和5年 (2023) |
五代: 丹邉江彦 |
丹邉江彦 取締役に就任 |
文林堂の歩み (2013年JAWA-SHOWパンフレットより)
明治時代の寄付金は何処へ? (1978年12月31日 熊本日日新聞より)
徳冨蘆花 小説「富士」第三巻53頁 (国立国会図書館デジタルコレクションより)
■ 白いタヌキ像について
※現在では夜間に再び目が光るようになりました。